陸上競技100mについて思うこと

【コラム】

たとえば「骨盤を後傾させて走る」。
感覚ってすごく大切だと思う。

10秒前半で速く走るためには、自分の体を完全にコントロールでき、確かなる自分なりの感覚を得る必要があるはずだ。何かの動きと疾走速度が決まった相関関係図を描くように、速い選手たちには統一の感覚があるに違いないと信じている。
多くの人が個性や自分の骨格やらにあった走りとかオリジナル?を大切にしたがるが、やっぱり速い人はある程度同じような感覚で走っていると思う。
なぜなら、自分より速い人からの話はいつもどこか似ていて、同じことを感じているように思えるからだ。全く見当違いな感覚は滅多に登場しない。

そのトップアスリートの感じている感覚を自分なりに掴めれば、そっちの世界に踏み入ることができるような気がするのだ。

もっと感覚を磨くためにも、全ての練習に意義を求め、常に自分の体と動きを意識できるようにしたい。

自分で説明できない練習は練習とはいえないはずだ。

アップのジョグ、どういう目的で行っている?

体を起こし、温めるため?果たしてそれが走りに繋がるのだろうか。体を温めるだけならもっと相応しいやり方はないか?短い距離のダッシュでも体は温まる。それでもなぜジョグなのか・・・。

ストレッチはどういう目的がある?

筋肉が切れないように伸ばすため?果たしてそれで怪我が防げているのか。では、入念なストレッチを行う選手でも怪我をする人は多いのはなぜか。また、その動作には不利益が生じないか?実は筋肉を伸ばすことは体の中の電気的信号の伝達を遅め、パフォーマンスを下げる。だったらどうしようか。

動的ストレッチ?

練習前に走りの中での筋肉の伸び以上に筋肉を伸ばす必要はあるのだろうか?筋肉は伸ばせば良いってものでもないのではないか。そもそも動的ストレッチとは何か?昔こうちゃんさんはハードルドリルは私の中で静的ストレッチと言った。きっと静的な運動の連続がハードルドリルだから。うまい動的ストレッチにはある程度の重量を生かして反動を入れた運動のことを言うのだろう。しかし、それを何のために行うのか・・・。

流しはいったいどう意味があるのか?

走練習に入る前に体を走りに慣らすため?走りのイメージを掴むため?そんなことは不可能では?結局走練習では流し以上のスピードを出すわけだから、どんなに流しをしっかり行ったところで、走練習は全く別のものであるはず。だったら、短い距離をダッシュした方が走練習に移行するのに適した慣らし方ではないか。同じ理由で、流しのスピード内での技術向上は本番の走りには生かせないはず。

テンポ走とはいったいなにか?

これも前の理由(遅いスピードと速いスピードでは動きが違う)から有意義な練習とは思えない。

スピード練習で足が速くなる?

速く走っていれば足が速くなると思うだろうか?それも合理性を感じない。自分の力を100%出しての練習は、どこかで力を制御することを考慮に入れて、自分の力を90%出す練習でしかないと思う。それはスピード向上には繋がらない。

では、どうするか?

加速走はどうだろう。ゆっくり加速することで、自分の出せるスピードにたどり着いてもイメージ的には加速し続けることができる。それによって、120%の力を出している時のスピードを体感することができる。これは最大速度を上げる良い練習といえる?どういった練習かを忘れず意識を持って行えればきっと良い練習だ。

練習での計測に意味があるのか?

結局結果を出すのは本番の試合のはずで、練習中ではない。練習で頑張る必要はない。タイムを計れば自分の走りを意識しずらくなり、記録を気にして無駄の多い練習になるのでは?でも、本番だって、記録・順位を意識して走るのだからその練習だと思えば良い練習といえるかもしれない。でも、これだけでスピードが上がるとは考えにくい。実力以上を出せるようにする練習ではないから。

補強っていったい何のため?

走りで鍛わりにくい筋肉強化を補助?腹筋、背筋、腕立て伏せ。これがどう走りに繋がっていくのか全くわからない。走りのための練習なのに、座って、止まって、寝転がって練習してなぜ走りがうまくなる?動作の中で鍛えるのが正しい練習ではないか?

ウエイトっているのだろうか?

わざわざ体を重くして走りが速くなるとは考えがたい。力の出力値が大きくなっても走りで出せなければ意味がない。可能な限り、走りに違い運動で鍛える必要がある。それなのに、ベンチプレスが必要なのか。まぁ、仮に筋力を向上させて走りに繋げていくのであれば、繋げていく練習をどう行うかを考えるべきだ。それはなかなか見つからない。

タイヤ引き、坂道利用、砂浜利用の練習は走りに繋がる?

負荷をかけて練習して、きつかったねで終わる練習ならやる意味は全くない。負荷をかけて走った。だから、どうしたって話。そうではないはず。負荷のかかった中でうまく進む技術を感じ、平地でそれを使いこなせるようにする必要があるはず。負荷走で得た感覚は、平地へ移動中に弱まっていくはず。平地に戻ったらリセットされて、ただ走るではいけない。

ダウンって疲れを残さないためにやるの?

血の流れがどうのって、だったらジョグして、止まってストレッチっておかしくないか?ジョグはまだ血流が良くなるかもしれないけど、その後で止まって、座ってストレッチって、筋肉冷めて固まらない?シャワー浴びることで代わりにならないか?しっかりダウンしてもいつも次の日に疲れは残ることないか?今やっているダウンは本当に正しいもので、必要なものなのか?

そもそも疲れる練習って何なんだろう?

本番は100m1本!!1時間以上空けてもう一本とかあるけど、連続で走ることってまずないはず。それなのに、なんで練習ではウォーク戻りや折り返しをしたがるのだろうか。10分空けても本番の6分の1。本番と同じで1時間空けたら意味のない練習になるのか?疲れた状態で走って、良い感覚を掴めるのか?本当の意味での根性はつくのか?100mのラストにいる根性はもっと別のものな気がする。そもそも100mに関しては、ラストは根性ではないと思う。気合いや根性とは全く正反対の冷静さ、落ち着き、リラックスが大切なのではないか?そのためにどうするか・・・。

跳躍練習が走りに繋がるの?

これはどうだろう。跳躍練習によって一瞬で出せる出力値を高め、それがキック力に結びつけば意味はできあがるはず。でも、結びつける練習はスピードバウンディングで十分か?バウンディングと走りを完全に分けている時点でバウンディングと走りは全く違う運動になるし、そういう意識ができてしまう。もっと走りを意識した運動で繋げていければ最高なんだけど・・・。

体の柔らかさが足を速くするのか?

怪我を防止するのか?これも統計的に、体が硬い人が怪我しやすいっていうのも嘘だと思う。柔らかいから怪我しにくいもないな。走りで必要な部所毎の可動域なんて限られている。そこ以外の柔軟性は走りには必要ない。硬い体は無理に伸ばすから切れるなんていうのもありえない。怪我をするってもっと別のことから来ているのではないか?

地面とケンカしなければ怪我しない?

地面から思い切り反発を受けて前に進むのだから、多少の衝撃を体で受けることは仕方がない。それは速い選手の方が強い力を受ける。けど、怪我をする選手はスピードに関係なくいる。そもそも怪我って何でするのかな?陸上だけでなくどんなスポーツでも怪我はつきもの。こればかりは確率の問題なのか。生まれつきの骨、筋肉の作りからか。どうなのかはわからないが、アップがどうとか硬さがどうとかは間違った知識であるに違いない。だって、明らか怪我するだろう人でも怪我しなかったし、めっちゃ気にしている人でも怪我はするし。これだけはどう対策すれば良いかわからない。

調整ははたして必要なのか?

最高の練習をしても本番結果を出せなければ何の意味もなくなってしまう。狙った場所で結果が出せなければ、自分の全てが否定される。恐ろしいスポーツの世界。自分が自分に答えてくれないことほど悲しいことはないのではないか。今やってきているピーキングは最善のものか?ピーキングなしでは本当にパフォーマンスは落ちるのか。固定観念にとらわれずに、統計的にやっぱり調整を実施した選手が多く成功しているように思える。けど、調整なしで挑んだ試合で自己最高を出す選手もいる。自己最高とは、これまでどれほど頑張っても出せなかった記録。それが調整なしで出るのも悲しい話だ。そして、はりきって調整してみると、本番体が動かなかったり、無駄に力んでしまったり。

完璧なんて、不可能だと思う。

陸上の世界、うまくいかないことがあまりに多すぎる。そんな中、勝ち続ける選手は勝ち続ける。当たり前のように勝っていく彼らは本当にすごいと思う。微妙なズレで結果が大きく変わってしまうのが陸上競技。

完全に自分を制覇できた人が勝てる人だと思う。

そのための練習をしていきたい。ただ、いりそうだからやってみるとか、それが理論的に良いからやってみるではなく、自分はどう考え、何がしたいのかをはっきりして、そのためにこの練習は切り捨て、この練習をやる。その練習が既存のものである必要は決してないはず。自分の思ったとおりにやることで自分を制御する力が身につく。それが本番必要な唯一の力ではないか。

コンピュータのように、完璧までに自分を制御できる選手になりたい。