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序章:なぜ「走る」と記憶が蘇るのか?
トラックを走っているとき、ふと懐かしい景色が浮かんでくる。 小学生の運動会、部活での失敗、誰かにかけられた一言。
汗がにじみ、呼吸が荒くなればなるほど、なぜか「昔の記憶」が鮮明になる。 あれはただの“偶然”ではない。そこには、科学的にも説明がつく“脳の反応”があるのだ。
この記事では、「なぜ走ることで過去の記憶が蘇るのか?」を脳科学・心理学の視点から読み解き、 さらに陸上競技とトラウマがどのように関わるのか、その深層に迫っていく。
第一章:運動と記憶の意外な関係
1. 運動中、脳では何が起きているのか?
走ると脳の「海馬(かいば)」が活性化する。 海馬は記憶の中枢であり、特に“エピソード記憶”を司っている。
走ること=海馬の活性化=過去の記憶のフラッシュバック。 この方程式が、私たちの体験を「思い出の旅」へと導いているのだ。
2. 呼吸と感情の結びつき
激しい呼吸は、交感神経を刺激し、過去の「戦うor逃げる」反応を呼び起こす。 結果として、脳は“過去の似た状況”を検索し始める。
そのため、走ることは“記憶のスイッチ”として働く。
第二章:なぜネガティブな記憶がよみがえるのか?
1. トラウマ記憶は「身体」に保存される
記憶は“頭”だけにあると思われがちだが、実は「身体」が記憶を持っている。 これは「身体記憶」と呼ばれ、トラウマ体験は筋肉の緊張や姿勢、動作として刻まれている。
走ることで、その動作パターンが呼び起こされると、同時に“封じ込められていた記憶”が表出するのだ。
2. 脳は「危険」を記憶しやすい
脳には生存のために「ネガティブな記憶」を優先的に記録する性質がある。 そのため、走ることで身体が極限状態に近づくと、脳が“過去の危機”を思い出す。
つまり、トラウマ的な記憶こそが、先に蘇りやすいというわけだ。
第三章:走ることで記憶は癒せるのか?
1. ランニングは“動く瞑想”
一定のリズムで走ることは、呼吸と動きがシンクロする「動的なマインドフルネス」に近い。 この状態では、脳の扁桃体(感情処理の中枢)の興奮が抑えられ、落ち着いた自己対話が可能になる。
記憶を「思い出してもパニックにならない」ようにする訓練として、走ることはとても有効だ。
2. “走ること”で記憶に意味を与える
記憶は、ただ思い出すだけでは癒えない。 「その記憶に意味を与える」ことが癒しの第一歩となる。
ランナーの中には、走ることで「あの出来事は、自分を成長させた」と捉え直せる人も多い。
第四章:トップアスリートとトラウマの接点
1. 偉大な選手ほど、傷を持っている
オリンピアンや世界レベルのランナーには、幼少期や学生時代に心の傷を持つ人が少なくない。 それが「走る」という行為への執着や集中につながる。
2. トラウマが“推進力”になることもある
ネガティブな感情を、走ることで昇華する。 苦しみを、努力のエネルギーに変換する。
走り続ける理由は、意外なほど“心の中の痛み”と深く結びついている。
第五章:記憶と向き合うということ
1. 記憶を閉じ込めない
トラウマ的な記憶を「忘れよう」とするのではなく、「観察し、受け入れる」こと。 走ることは、そのための“安全な空間”を提供してくれる。
2. 走りながら、自分を再構築する
ペースが上がるたびに、過去の自分と距離ができる。 ゴールが近づくたびに、新しい視点で自分を見つめ直せる。
そうやって、走ることで「今の自分」を一歩ずつ築いていける。
結語:走るたび、記憶は未来へと塗り替えられる
走ることは単なるスポーツではない。 それは「記憶の旅」であり、「心の再構築」であり、「生きる哲学」だ。
私たちは、ただ早く走るためにトラックに立っているのではない。
そこには、痛みや苦しみ、そしてそれを超えようとする“人間の意志”がある。
走るたびに蘇る記憶。 そのすべてが、今日の自分を創り、明日の自分を導いてくれる。
だからこそ、私たちは——今日も、走る。